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兵藤釗先生を偲んで

(兵藤釗先生1933-2022)

 大先輩に失礼だったかもしれないが、「兵藤さん」といつも呼んでいた。柔和な表情でいつでも周りの人たちに配慮を欠かさない人柄のために、そんな生意気な後輩の呼びかけも自然に受け入れてもらっていた。

 兵藤釗(ひょうどう・つとむ)さんは、私が学部学生時代に出版された『日本における労資関係の展開』(東京大学出版会,1971年)によって日本労資関係史に不滅の業績を上げた。これは後に続く研究者にとって高い壁となった。五〇年の間これに挑戦を続けた私の戦間期の日本経済史研究は兵藤さんの仕事に寄りかかったまま、いまだに私はこの高い壁の前にたたずんでいる。

 兵藤さんは、生協活動にも強い関心をもち、東京大学在職中から東大生協の仕事を引き受けたりしていた。生協総研の理事や総研賞選考委員の仕事もそのような流れのなかで引き受けられたものだろう。

 この総研賞選考委員会は、若い研究者たちの研究計画の審査や、最新の研究業績の評価などについて真剣な議論が重ねられた。途中からの参加だったので、審査基準などについての前例も知らずに、選考委員会での私はいつも少しとんがった、厳しい意見を出していた。助成研究の成果の報告会では、若い報告者を立ち往生させたこともある。少しぬるま湯的な雰囲気を感じていたからだが、そんな私の暴走を兵藤さんは、柔らかく包み込むような意見でフォローしてくださっていた。兵藤さんがいることが、そうしたバランスをとってくださるという安心感を与え、それに私は甘えていた。若い研究者たちは、この兵藤さんの優しさに包まれて育ったのだろう。

 そんな兵藤さんが逝かれた。お酒が好きな人だった。アルコールに不調法な私はほとんどご一緒することはなかったが、懇親の席などで飲むと柔和な表情が一層緩み、周囲を和ませていた。選考委員を辞めてからお会いする機会がなかったので、いまだに兵藤さんの逝去を信じられないが、心からご冥福を祈りたい。

武田晴人(三井文庫業務執行理事、東京大学名誉教授、元生協総研賞選考委員会副委員長)