研究活動

海外報告
パナマICAグローバル総会・世界会議視察報告【山崎由希子】

■海外出張の目的

パナマ共和国のパナマシティで開催された国際協同組合同盟(ICA)のグローバル総会・世界会議・関連する会議を見学し、国際的な会議の場で各地から集まった協同組合によりどのような議論が行なわれたかを聞き取り、持ち帰る。

■日程・訪問地

2026年9月12日~9月19日 パナマシティ(パナマ共和国)

報告

 2026年9月に、ICA総会とICA世界会議を傍聴するため、パナマシティを訪問しました。同総会と世界会議の内容については『生活協同組合研究』の原稿に譲り、ここではパナマシティ滞在中に行った市内視察について報告します。

〇旧市街(カスコ・ビエホ)

 パナマシティにはよく知られた歴史的地区が二つあり、一つは16世紀前半から17世紀後半にかけてパナマシティの中心地であったパナマ・ビエホ、そしてもう一つは、このパナマ・ビエホが1671年に英国の海賊ヘンリー・モーガンの攻撃を受け廃墟と化したことから、10キロ離れた半島に新しく建設されたカスコ・ビエホ(カスコ・アンティグオとも呼ばれる)です。これらの地域はユネスコの世界遺産にも登録されています。

サン・ホセ教会の象徴である黄金の祭壇

 このたび訪問したのは二つ目の歴史的地区であるカスコ・ビエホで、こちらにも古くからの街並みが残っており、石畳の道や広場、建設から数百年の経つ教会、建物等には、スペインやフランス、アメリカといったこの間パナマを支配した国々の異なる建築様式が見られました。今回の訪問ではそれらの歴史的な建物の中で、金で装飾された祭壇で有名なサン・ホセ教会に入り、内部を見学しました。この教会の地下には聖書の物語が大きなジオラマで再現されており、パナマ社会におけるキリスト教の大きな存在感を感じました。カスコ・ビエホでは他にも、サントドミンゴ修道院や欧州人として初めて太平洋に到達したスペインの探検家バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(パナマ通貨の単位名にもなっている他、その名の付いたビールもありました)の像も見られ、この街の歴史に触れることができました。

建物の壁に描かれたロロ・デ・サントスの絵

 パナマの起伏に富んだ歴史を伝える建造物が見られる一方、現在のカスコ・ビエホは観光地としての開発も進んでおり、現代的なカフェやレストラン、ホテル、土産物店も数多く並んでいました。そして、ある建物の壁に色鮮やかな女性の絵が2枚飾られていたのですが、それはロロ・デ・セダス(Rolo De Sedas)というアーティストが壁に直接描いた絵を、後から木枠とガラスで囲い、あたかも壁に絵をディスプレイしているように装ったものでした。この壁画の近くには彼の絵をモチーフにしたグッズを売る店舗もあり、使われている色の鮮やかさや絵のポップさから、パナマの自然の豊かさと現代らしさが同時に感じられました。

 帰国後、このアーティストについて検索したところ、セダスは自身の作品を美術館や画廊だけに置くのではなく街の中の壁や日用品にも展開し、誰もが親しめる「公共のアート」を目指してきたとのことで、カスコ・ビエホの壁画もその活動の一環と思われました。

〇ミラフローレス閘門ビジターセンター

パナマ運河を渡る船の様子

 ミラフローレス閘門(こうもん)ビジターセンターはパナマシティの西側、一般的に「パナマ運河」と考えられている地域(幅16キロ、長さ83キロ)の中の太平洋近くにある施設です。この施設には運河の建設や運航の仕組みなどを学ぶ展示や運河の歴史と運用を紹介するIMAX 3D映画(ナレーションはモーガン・フリーマン)のシアター、巨大な船が水門の区画に入り、水位を上下させながら移動する様子を見ることのできるデッキ、土産物ショップ等があります。

 大西洋と太平洋をつなぐ運河の建設構想は欧州の探検家たちが16世紀にパナマを訪れて以来、数世紀にわたって探求されました。スエズ運河建設の経験を持つフランスが19世紀後半、パナマ運河建設を試みましたが熱病の流行で多数の労働者が犠牲になったことや、粘土質の地質に起因する難工事により計画は頓挫、20世紀初頭にアメリカが建設を引き継いだ結果、パナマ運河は1914年8月に開通しました。

 パナマ運河は二つの大海の間の地上で船を移動させるため、船を閘門でいったん高い位置まで持ち上げ、運河中央にあるガトゥン湖を通して反対側の海へ運ぶ仕組みです。海面と湖面には約26メートルの高低差があるため、海と海を水平な水路で結ぶのではなく、水位を段階的に変えて船を通す必要があります。このように書くと非常にシンプルな仕組みのように思えますが、実際に水路の水位が変化し、水路の幅ぎりぎりに大きな船がゆっくりと通過していく様子を見ると、パナマの人々がこの運河を誇りに思うのも当然の、とてもシンボル的な要素の強い建造物であると感じました。

 運河の建設後、アメリカが(運河の)管理権を獲得し、そのことは長らく両国関係の主要課題となりましたが、1977年に結ばれた条約を経て、1999年12月31日にパナマへ全面移管されました。この際、運河地帯に存在した米軍基地やアメリカ人居住区もすべてパナマに返還されたとのことで、ICA総会・世界会議の開催されたパナマ・コンベンションセンターの周辺でも打ち捨てられて廃墟のようになった元米軍住宅を見ることができました。

参考資料

■ICA総会とICA世界会議の詳細は、後日『生活協同組合研究』に掲載予定です。ご期待下さい。